1. Close
    リーガ・エンデサ33節
    Live the match inWiZink センター
    レアル・マドリレアル・マドリ
    vs
    バレンシア・バスケットバレンシア・バスケット
    試合情報
    リーガ・エンデサ, 33節
      WiZink センター
     05/21/2019
    21:00
    チケット購入

    シェアfacebooktwittergoogle +

    Siguiente

    リーガ・エンデサ21:00レアル・マドリvsバレンシア・バスケット

    前へ
  2. Close
    Classic Matchコラソン・クラシック・マッチ 2019
    Live the match inサンティアゴ・ベルナベウ
    レアル・マドリード・レジェンズレアル・マドリード・レジェンズ
    vs
    チェルシー・レジェンズがこのスポチェルシー・レジェンズがこのスポ
    試合情報
    Classic Match, コラソン・クラシック・マッチ 2019
      サンティアゴ・ベルナベウ
     06/23/2019

    シェアfacebooktwittergoogle +

EmiratesAdidas

チケット購入方法を選択

    1. レアル・マドリードはヘイゼルで6度目の欧州制覇を果たした
    2. ヘント、欧州(ヨーロッパカップ)を唯一6度制覇した選手

    1961-1970

    チームは変革の時期に差し掛かっていた。スペインでは5連覇を含めてリーガを8回制覇、リーガと総帥杯の2冠優勝もあった。国外でも6度目の欧州チャンピオンズカップを獲得。その原動力となったのは“イェーイェー・マドリード”の世代だった。

     

    1961-62シーズン、レアル・マドリードはドブレテ(リーガと国王杯の2冠)とチャンピオンズカップ準優勝の偉業を達成した。1962年3月18日、マドリードは2試合を残しホームスタジアムでリーガ優勝を確定させた。そして1962年7月8日には国王杯決勝でセビージャを2-1で破っている。
     
    スペイン国内だけでなく、1966年にはヨーロッパでも王者に輝く。パルチザンとの決勝では、ディ・ステファノとプスカシュを欠いたものの、ベテランのヘントが先発。その他のメンバーにはアラキスタイン、パチン、ペドロ・デ・フェリペ、サンチス、ピリ、ソコ、セレナ、アマンシオ、グロッソ、ベラスケスらが名を連ねた。6度目の欧州チャンピオンズカップを獲得した後には4人の選手がビートルズを模して記念撮影。以来、この時代のマドリードは「She Loves You」の歌にちなんで、“イェーイェー・マドリード”と呼ばれることになる。

    1961 - 1970
    1. 初インタコンチネンタルカップ

      レアル・マドリードはウルグアイのペニャロールを倒し、この大会の初勝利者となった。

    2. チャンピオンズカップ ‘イエイエ’

      ミゲル・ムニョス、サンティアゴ・ベルナベウ、ヘントは6度目のヨーロッパカップと一緒に笑顔でポーズする。

    3. チャンピオンたちを迎えるためバラハス空港が麻痺

      マドリードのバラハス空港は6度目のヨーロッパカップを獲得したレアル・マドリードを迎えるサポーターで埋め尽くされた。

    4. ニューマドリーの鏡ピッリ

      このMFはヨーロッパの王座を奪還した“イエイエ”のチームの鍵のひとつだった。

    Siguiente Anterior

    「魔術師」のファンタジー

    将来的にも常にトップでいるためにはチームの若返りが必要とサンティアゴ・ベルナベウは認識していた。1962年には、昇格したデポルティボ・ラ・コルーニャの原動力だったアマンシオ・アマロに着目。22歳での入団以来、「エル・ブルーホ(魔術師)」という愛称を持つガリシア出身のFWはミゲル・ムニョス監督のチームでレギュラーとなる。右サイドで光るプレーを見せ、ファンの人気を集めた。

    「魔術師」のファンタジー

    マドリード・カンテラ発祥の地

    1963年5月18日には、クラブには専用トレーニング施設が必要というベルナベウの考えに基づき、カステジャーナ通り沿いにシウダード・デポルティバ(練習場)がオープンする。サッカーグラウンド、陸上トラック、テニスコートを備え、その後にはバスケットボールのアリーナ、プール、アイススケート場も設けられた。この時代としては革新的な施設に世間も賛嘆、クラブの将来の糧となるカンテラもここから始まった。

    マドリード・カンテラ発祥の地

    「サエタ・ルビア(金髪の矢)」の退団

    チームを11シーズン牽引してきたアルフレド・ディ・ステファノがレアル・マドリードから旅立つ日がついに到来。1964年5月27日の公式戦が最後の出場だった。その3年後、セルティックFCを迎えて引退記念試合が行われ、13分、キャプテンの腕章を外してグロッソに手渡す。サンティアゴ・ベルナベウのスタンドは喝采で別れを告げ、マドリードで308ゴールを挙げた英雄を見送った。

    リーガ5連覇

    マドリードは前進を続け、1965年4月18日にはクラブ史上初のリーガ5連覇を果たす。この1964-65シーズンには、後に“イェーイェー・マドリード”と呼ばれた選手たちの第1陣が到着。グロッソ、ピリ、サンチス、デ・フェリペらが加入した。

    獲得タイトル

    欧州チャンピオンズカップ - 1

    欧州チャンピオンズカップ

    1
    リーガ - 8

    リーガ

    8
    総帥杯 - 2

    総帥杯

    2
    Siguiente Anterior
    Buscar