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Alfredo Di Stefano con las 5 Copas de Europa

ディ・ステファノの5度の欧州チャンピオンズカップ

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ニュース | 07/07/2014

チャンピオンズカップで世界最高選手となった。
チャンピオンズカップ黎明期のレアル・マドリードの支配は、クラブ・ブランコが世界最高クラブとみなされるだけでなく、世界のサッカー界の偉大なスターとしてディ・ステファノの名声を広めるにに役立った。5年連続チャンピオンズカップに優勝しているが、その数字は素晴らしいもので58試合に出場し49ゴール。さらに、ディ・ステファノは5度の決勝でゴールを決めた唯一の選手となっている。


1955-1956シーズン:歴史上最初のヨーロッパチャンピオン
レアル・マドリードとディ・ステファノは1955年9月8日、チャンピオンズカップデビューを果たした。ジュネーブでセルヴェトと対戦し0-2で勝利。この大会最初の‘ブロンズの矢’のゴールは第2戦に訪れる。それは10月12日。アルフレド・ディ・ステファノはスイスチーム相手に5-0で勝利した最初の2ゴールを決めている。

この最初のチャンピオンズカップではベオグラードでの雪のパルチザンとのベスト16第2戦のように多くの壮絶な戦いがあった。またディ・ステファノが素晴らしい試合を披露し、ミランサポーターから拍手を受けたサン・シーロでのミランとの準決勝は特別なものだった。この時、アルフレド・ディ・ステファノは数日前まで喉疾患にもかかわらず、その試合をプレーした。

最初の決勝
決勝の相手はレイモン・コパ率いる危険なスタッド・ランス。フランスチームはホームのパルク・デ・プランスでプレーし2点リードした。しかしディ・ステファノが15分にゴールを決めると、彼の意欲が逆転するために他の選手たちを引っ張り、最終的には4-3で勝利した。最初のチャンピオンズカップにより‘ブロンズの矢’の能力がヨーロッパ全土に証明された。

1956-1957シーズン:サポーターの前でトロフィー掲げる
レイモン・コパは昨シーズン、スタッド・ランスで阻まれたタイトルを獲得するため、このシーズン、ロス・ブランコスの一員となった。ラピド・ウィーンが1回戦の厳しいライバルとなりマドリードは大会から姿を消すところだったが、オーストリアでの第2戦でのディ・ステファノのアクロバティックなゴールが再試合となる第3戦へと持ち込むのに役立った。

他の思い出の瞬間はマンチェスター・ユナイテッドとの準決勝。赤い悪魔ではイングランドサッカー界の将来を期待されたダンカン・エドワーズがプレー。マドリードでロス・ブランコスは相手を圧倒的に上回り、ディ・ステファノは3-1と勝利した試合でゴールを決めた。オールド・トラフォードでの第2戦ではスタンドからの地獄の騒音が主役となったが、ロス・マドリディスタスはその敵対的な環境を克服し勝ち進んだ。


2度目の決勝
フィオレンティーナとの決勝はサンティアゴ・ベルナベウで開催された。試合は70分まで互角だったが、ディ・ステファノがPKを決めスコアを動かした。76分にはヘントが2-0のゴールを記録し、マドリードはサポーターの前でヨーロッパの王となった。

1957-1958シーズン:第3回大会の得点王
チャンピオンズカップ準々決勝でのマドリードの相手はセビージャ。第1戦は1957年2月23日に行われ、試合前にはディ・ステファノにバロンドールが授与された。“ブロンズの矢”はそのトロフィーをサポーターに披露し、その後、再び信じられない試合をやってのけた。マドリードは8-0で勝利し、ディ・ステファノは4得点を記録した。

準決勝ではブダペストのヴァシャシュと対戦。その試合では雨が主役となったが、アルフレドはハットトリックを記録。そのゴールの祝福の一つで彼は何度も飛び跳ねた。その瞬間のスナップショットがディ・ステファノの最も伝説的なもののひとつとなり今の歴史に残っている。

3度目の決勝
スタッド・デュ・エゼルでミランと対戦した。スキアフィーノに先制ゴールを決められたが、ディ・ステファノが同点ゴールを返し試合は2-2で延長戦へ。両チームとも疲れきっていたが、驚異的なフィジカルを持つヘントがレアル・マドリードを優勝へと導くゴールを決めた。ディ・ステファノは10ゴールで大会得点王となった。

1958-1959シーズン:プスカシュを擁しての豪華なFW陣
プスカシュとの契約によりレアル・マドリードFW陣はヨーロッパでさらに恐れられる存在となった。レアル・マドリードはアトレティコ・マドリードとの準決勝を前に、ベジクタシュ、ウィーナーSCを下している。

準決勝は最も競争的な戦いの一つとなり、再試合の第3戦で決着をつける必要があった。それは1959年5月13日にサラゴサで行われた。ディ・ステファノはこのラ・ロマレダでの対戦で先制点を決め、シュトゥットガルトで行われる決勝戦へとチームを引っ張った。アトレティコ戦後、「シュート(dispara)のD、守備(defiende)のD、指揮(dirige)のD、支配(domina)のD、決定(decide)のD、ディ・ステファノ(Di Stéfano)のD」という表現が聞こえ始めていた。

4度目の決勝
決勝では再びスタッド・ランスと対戦しマドリディスタは重要な試合を決定づけた。マテオスが早々にロス・ブランコスの先制点を決めると、ディ・ステファノが47分に2-0のゴールを記録。優位性を実証したマドリードはヨーロッパチャンピオンとして4度目となるトロフィーを掲げている。

1959-1960シーズン:歴史上最高の試合で5度目のチャンピオン
ジュネス・エシュとニースが、この大会で唯一、チャンピオンズカップに優勝していることを主張できるチームの最初のライバルたちとなった。準決勝ではエレニオ・エレーラのバルセロナと対戦。レアル・マドリードはディ・ステファノの2ゴールを含む2試合合計6-2で決勝に駒を進めた。

5度目の決勝
ライバルはアイントラハト・フランクフルト。この試合はサッカーの歴史上最高とみなされている。ドイツチームに先制されたものの、ディ・ステファノが3分間での2ゴールでチームを勝利へと傾かせた。その後、両チームともにゴールを決め最終的なスコアは7-3で、レアル・マドリードがヨーロッパ5度目のチャンピオンを宣言するという困難なミッションを遂行した。
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