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イピーニャ

イピーニャ

1939 - 1949

  • フルネームフアン・アントニオ イピーニャ・イサ
  • 出身地
  • 生年月日23/08/1912
  • フルネームフアン・アントニオ イピーニャ・イサ
  • 出身地
  • 生年月日23/08/1912

クラブ最初の偉大なキャプテン

ポジション:MF
出場試合数:公式戦302
スペイン代表:6試合

スキル、強さ、ボールコントロールを兼ね備えたパワフルなミッドフィルダーで、レアル・マドリード最初のキャプテンとして知られる。1930年代の終わりから1940年代にかけて一時代を築いた偉大なる中盤で、サウト、ウエテと共にプレー。内戦後、再建の途中にあり、レクエ、サウト、ボネト、キンコセスの4選手しか残っていなかったクラブに加わった。

財政難にあえいでいたクラブだが、将来性をはっきり感じさせ、何列目でもプレーできたイピーニャの獲得には資金を惜しまなかった。1939-40シーズンにベルナベウへやって来ると、チームのニーズに合わせて徐々に後方でプレーするようになった。献身的な姿勢で輝かしい10シーズンをエル・ブランコで送り、1949年に現役を退いている。

在籍中、スペインカップを2度獲得。レアル・マドリードの最初の偉大なキャプテンとして認められている。ベレネンセスと対戦したサンチャゴ・ベルナベウのこけら落としの試合で、チームキャプテンを務める名誉を得た。

モロウニー、ムニョス、パイーニョを擁したレアル・マドリードの監督も務めている。1953年にクラブが三頭体制でファーストチームを指揮することを決めると、テクニカルマネージャーとなり、新監督のエンリケ・フェルナンデス、フィジカルトレーニング担当のホセ・ビジャロンガとトリオを組んだ。その尽力により、マドリードは最大の新戦力ターゲットで、のちにクラブの歴史を変えることになるアルフレド・ディ・ステファノを獲得するに至っている。1974年9月7日死去

経歴

スペインカップ2回