- フルネームアルベルト マチンバレーナ・アギーレベンゴア
- 出身地
- 生年月日30/03/1888
戦術理解に長けたあらゆる選手の手本
出場試合数:22
通算得点数:5
エレガントで戦術理解力に長けた完璧なMFで、レアル・マドリードのリーダーを務めた。意識の高さとピッチに君臨するその存在感は抜きんでていた。チームメートがピッチ上で最高の能力を発揮できるベストポジションを見つけられたのも、同選手の力が大きかった。レネ・ペティートも、その助言で大きく花開いた選手の一人だ。
当初はレアル・マドリードと地元チームのレアル・ソシエダの両方でプレーしていたが、いわゆる「マチンバレーナ問題」によって、2つのクラブに同時に所属することはできなくなった。1913年はレアル・ソシエダでプレーしたが、サン・セバスティアンに本拠を置くソシエダに次シーズンの選手権出場の見込みがなくなったことから、マドリードから誘いを受ける。これが大きな議論を呼び、サッカー連盟がルールの変更を迫られる事態に至った。
しかし1923年、インフルエンザが原因の肺炎により死去。その訃報はスペインサッカー界に大きな衝撃を与えた。マドリードのファンは早すぎる死に涙し、クラブも1925年にその功績を称える銅像を建立。同じく早世したソテロ・アラングレンとともに、その像はサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムのファーストチーム用ドレッシングルームで今も選手たちを見守っている。1923年7月19日死去
経歴
スペインカップ1回
地域選手権1回
地域選手権1回