- フルネームマヌエル サンチス・オンティジュエロ
- 出身地
- 生年月日23/05/1965
終わりなき英雄伝説
出場試合数:710
通算得点数:40
スペイン代表:48試合
冷静な判断力と粘り強い守備に加え、ポジショニングと俊敏性に優れた地元出身のセンターバック。サッカー選手としてのクオリティーと高いプロ意識により、レアル・マドリードのチーム内に新風を吹き込んだこのディフェンダーは、スペイン・サッカー史に大きな足跡を残した世代の一人でもある。
幼い頃からレアル・マドリードとは身近な関係にあり、エル・ブランコの一員だった父親がプレーする姿を見てサッカーの楽しさを学ぶ。12歳にしてカンテラのトライアルを受け、その直後に“ラ・ファブリカ”と呼ばれたユースチームのメンバーに抜擢。U-14、U-19チームで卓越したテクニックを披露すると、リザーブのカスティージャへ引き上げられた。アマンシオの指導で2部リーグに昇格したチームは、のちに“キンタ・デル・ブイトレ(ハゲワシ部隊)”の異名を取ることになる。
そしてディ・ステファノ(Di Stefano enlazar ficha)監督の下、マルティン・バスケスと共にファーストチームにデビューすると、1986年に自身初のリーガ優勝を経験。これを皮切りに国内5連覇の偉業を成し遂げる。当時のレアル・マドリードはその5年間に欧州全土を驚かせたが、欧州チャンピオンズカップを獲得するという悲願は達成できなかった。
その夢が実現したのは1998年。ミヤトビッチのゴールにより、クラブは32年ぶりに欧州の覇権を奪い返す。さらにその2年後には、自身2度目、クラブ史上8回目の欧州チャンピオンズカップ優勝を果たした。こうしてレアル・マドリードの歴史にその名を刻んだ“マノロ”は、直後に現役を退き、理想的な形で選手生活に幕を下ろした。
経歴
- UEFAチャンピオンズリーグ2回
- インターコンチネンタルカップ1回
- UEFAカップ2回
- リーガ8回
- 国王杯2回
- スペイン・スーパーカップ5回
- スペイン・リーグカップ1回