- フルネームビセンテ パニアグア
- 出身地
- 生年月日16/05/1947
「レアル・マドリードからの手紙」
少年時代に受け取った一通の手紙がその後の人生を一変させた。レアル・マドリードにトライアル参加を打診されたのは、故郷アルカサル・デ・サン・フアン(シウダード・レアル)のバルメスでプレーしていた頃。エル・ブランコが惚れ込んだ才能の持ち主は、同じラ・マンチャ出身のアントニオ・ディアス・ミゲルに憧れる17歳の「マンチェゴ」だった。やがて時が過ぎ、スカウトの目に狂いはなかったことが証明される。
この身長約2メートルのスモールフォワードは、幾多の栄光に彩られたキャリアを送った。個人的な成功よりもチームを最優先する姿勢を貫いた結果、少年時代のアイドルだったディアス・ミゲルを上回る数の栄冠を獲得。在籍11シーズンで20以上ものタイトルを手にし、レアル・マドリードの歴史に大きな足跡を残した。
後年、自身をバスケットボールの世界に導いてくれたディアス・ミゲルと再会。スペイン代表監督を務めていた恩師に招集され、代表戦8試合に出場した。
経歴
- 欧州チャンピオンズカップ(1968、1970、1974)
- 世界クラブ選手権(1972)
- リーガACB(1968、1969、1970、1971、1972、1973、1974、1975、1976、1977)
- 国王杯(1970、1971、1972、1973、1974、1975、1977)