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    リーガ13:00レアル・マドリードvsグラナダ

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1971-1980

6度目のリーガ優勝を果たしたが、1978年6月2日にはサンティアゴ・ベルナベウが死亡。サッカー界はレアル・マドリードを至高に導いた会長を失った。ルイス・デ・カルロスが友人、師匠でもあった故人を引き継ぎ、その後7年間クラブを率いる。マドリードの存在に肉付けをし、その価値観を伝えると、世界的レベルで知名度を高めることに成功した。

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1978-79シーズンはホームで安定した戦いを披露。ベルナベウから勝ち点1を持ち帰ることができたのは、エスパニョール、セビージャ、エルクレス、ラス・パルマス、アトレティコ・マドリードの5チームだけだった。選手たちから最大限に力を引き出したモローニー監督はアウェー戦でも違いを見せる。サンティジャーナのゴールで1-0と勝利したエル・モリノンでの試合が決め手となり、リーガ優勝を果たした。
 
会長の死は華々しいプレーを続けるマドリードに影を落としたが、クラブはサンティアゴ・ベルナベウに感謝の意を示すことを忘れなかった。その偉大な貢献を世間の記憶に留めるため、1979年8月31日に第1回サンティアゴ・ベルナベウ杯を開催。レアル・マドリード、アヤックス、バイエルン・ミュンヘン、ミランらのヨーロッパの強豪が競い合った。

1971 - 1980
  1. 完全なる支配者

    レアル・マドリードの選手たちは、バレンシア、バルセロナの前に行き優勝を決めた1971/1972シーズンのタイトルと一緒にポーズを決める。

  2. アマンシオ、栄光の時代に幕を下ろす

    このガリシア出身FWはリーガ9度目のタイトルとともに、レアル・マドリードでの時代に終止符を打った。

  3. サンティアゴ・ベルナベウの最後のシーズン

    レアル・マドリード史上、会長期間最長のベルナベウは会長最後のシーズンにクラブ前で選手たちと一緒に写真を撮った。

  4. ベルナベウ後任後、初タイトル

    Yルイス・デ・カルロス会長就任後、レアル・マドリードは新たなリーガタイトルを獲得した。

ミゲル・ムニョス監督、チームを頂点に押し上げて勇退

“イェーイェー・マドリード”の父はクラブでの在籍期間最長記録を更新。その14年間でチームに強靭な勝者のメンタリティを植え付けた。サンティアゴ・ベルナベウのトロフィールームに優勝杯を贈り続け、1973-74シーズンに指揮官の座をルイス・モローニーに譲った。

永遠のライバルを破って国王杯で優勝

バルセロナとの間でライバル意識が生まれてから30年が経過した1974年、レアル・マドリードは総帥杯決勝で4-0と大勝。相手に圧倒的な力の差を見せつける。ルイル・モローニーは、ミゲル・ムニョス前監督が残した戦いの精神をチームに維持させることに成功していた。

フアニート、レアル・マドリードの伝説

1976年11月19日にクラブはフアン・ゴメス「フアニート」と契約。マラガ出身のウィンガーはレアル・マドリードでプレーする夢を実現した。カンプ・ノウでのバルセロナ戦でデビューすると、3-2での勝利に貢献。全てのプレーに質の高さを伺わせ、ボール扱いが上手く、熱いハートを持った選手は、マドリードのユニフォームを全力で守った。このシーズン、チームはリーガ優勝を遂げている。

フアニート、レアル・マドリードの伝説

「8番を獲らないと」

1976-77シーズンにはチームのレベルが低下したため、レアル・マドリードはビッグネームの獲得を計画。サンティアゴ・ベルナベウと事務局長のアグスティン・ドミンゲスはボルシア・メンヘングラッドバッハの会長に招かれ、ドュッセルドルフを訪れた。ディナモ・キエフとの試合を視察中、ベルナベウはドミンゲスにこう言う。「10番はいいが、獲らないといけないのは8番だな」。その8番、ボルシアで頭角を現しつつあったウリ・シュティーリケは、それから数時間もしない1977年4月29日にマドリードに入団。ホテルのメモ帳に契約条項を書きつけてのスピード交渉だった。

「8番を獲らないと」

史上初の国王杯決勝兄弟対決

1980年6月4日、前代未聞の国王杯決勝がベルナベウで行われた。レアル・マドリードとそのリザーブチーム、カスティージャが対戦したのだ。試合では前者が6-1で勝利を収めたが、結果はとるに足らないものだった。同一クラブ所属の2チームの決勝だけに、どちらが勝ってもトロフィーはクラブに残る。超満員となったスタジアムは、マドリードファンのフィエスタの場と化した。ちなみにこのシーズン、ファーストチームはリーガも優勝し、2冠を達成している。

獲得タイトル
リーガ - 6

リーガ

6
総帥杯 - 2

総帥杯

2
国王杯 - 1

国王杯

1
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