- フルネームビセンテ デル・ボスケ
- 出身地
- 生年月日22/12/1950
成功に満ちたキャリア
ポジション:MF
出場試合数:公式戦339、親善試合106
通算得点数:25
スペイン代表:18試合
謙虚さ、才能、ハードワークの重要性という点で手本となる存在であり、これらをすべてあわせ持っていたがゆえにレアル・マドリードのレジェンドに名を連ねることとなった。サラマンカ出身の攻撃的ミッドフィルダーは、チームメートをまとめるのが非常にうまく、どの監督の下でもレギュラーとしてプレーした。
生まれ故郷の町サルマンティーノのクラブで選手としてのキャリアをスタートさせたのち、レアル・マドリードに入団。2シーズン後、ファーストチームに昇格したものの、クラブはまずレンタルに出して経験を積ませる道を選んだ。1年目はカステジョンに加入したがケガに悩まされた。翌シーズンはコルドバでプレーし、再びカステジョンに復帰。この間に大きく成長を遂げたため、クラブがトップチームに呼び戻した。
1973-74シーズンにファーストチームでデビューを果たすと、その後は11シーズンにわたってネッツァー、ベラスケス、そしてピリ と共に素晴らしい中盤を形成し、エル・ブランコに9つのトロフィーをもたらすなど活躍した。
選手時代のハイライトはバルセロナと対戦した1974年のスペインカップ決勝。エル・ブランコはクライフ監督のバルサにリーグ戦で0-5と大敗していたが、モロウニー監督 に率いられたチームは4-0と見事にリベンジを果たし、ビセンテ・カルデロンでトロフィーを掲げた。スペイン代表では1980年にイタリアで開催された欧州選手権を含め、通算18試合に出場している。
監督として2度のチャンピオンズリーグ制覇
監督としてはマドリードで7つのトロフィーを獲得。これには2000年と2002年のチャンピオンズリーグ優勝も含まれているが、2度の欧州制覇は、1950年代と1960年代の偉大なるチームと並び称される快挙となっている。
まずクラブのさまざまな年代のユースチームを指揮したのち、1994年にファーストチームの暫定監督に就任。1996年にも一時、チームを率いた。その3年後、初めて正式にファーストチームの監督になると、4年間在任。その3年目と4年目にチームをまさに頂点へと導いた。
マドリードを離れたあとは、トルコのベシクタシュを率いたのちスペイン代表の監督に就任。欧州選手権制覇に続いてスペインをワールドカップ初優勝へと導くなど快挙の連続で、世界屈指の監督としての地位を確かなものとした。
経歴
獲得タイトル
(
選手
):
- リーガ5回
- スペインカップ4回
獲得タイトル
(
監督
):
- UEFAチャンピオンズリーグ2回
- インターコンチネンタルカップ1回
- UEFAスーパーカップ1回
- リーガ2回
- スペイン・スーパーカップ1回