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ミゲル・ムニョス

ミゲル・ムニョス

1948 - 1958

  • フルネームミゲル ムニョス・モンスン
  • 出身地
  • 生年月日19/01/1922
  • フルネームミゲル ムニョス・モンスン
  • 出身地
  • 生年月日19/01/1922

レアル・マドリード史の神話

ポジション:MF
出場試合数:公式戦278
通算得点数:26
スペイン代表:7試合

生粋のマドリレーニョ(マドリード出身)でありレアル・マドリードの選手。偉大な人格を持つMFだったミゲル・ムニョスは10年間、ロス・ブランコスでプレーした。チームキャプテンであり50年代の中心として選手や監督としてクラブに全てを捧げ、その2つの時代に5度のチャンピオンズカップのトロフィーを掲げたのである。
 
サッカー選手としてのキャリアはマドリードのクラブでスタートし、その後はログロニェス、ラシン・サンタンデール、セルタ・デ・ビーゴでプレーした。ミゲル・ムニョスとパイーニョはセルタで素晴らしいシーズンを送り、両者とも1948年にレアル・マドリードのユニフォームに袖を通した。クラブにスペインサッカーのリーダーとなるために獲得した選手が加わり、チームは過渡期を抜けた。その最初のリーガタイトルを1953/54シーズンに獲得。

そしてミゲル・ムニョスは1956年6月13日、パルク・デ・プランスでレアル・マドリードのキャプテンとしてチャンピオンズカップを受け取った最初の選手となった。ムニョス、ディ・ステファノ、リアル、マルキートスとそのチームメイトたちはパリでスタッド・ランスを破り、マドリディスタにとって最も輝かしい時代の幕を開けたのである。

ムニョスは1958年までロス・ブランコスの一員となり、在籍した10年でチャンピオンズカップ3回、リーガ4回、コパ・ラティーナ2回に優勝した。引退後もクラブ・ブランコの歴史と関わり続け、最初はプルス・ウルトラ(Bチーム)監督、その後はトップチームの監督となった。
 
監督してさらなる成功をつかむ
 
レアル・マドリード監督としての最大の成功は、ミゲル・ムニョスがベンチからの例になるために引退したこと。ムニョスは監督としてクラブの永続的な記録を破ったのである。レアル・マドリードで14年間連続で指揮を執り、その間に非常に際立つ勝者の足跡を残している。1974年にルイス・モロウニーへと監督の座を譲るまでに、14ものタイトルをサンティアゴ・ベルナベウのトロフィー室にもたらせた。その中で2つの新たなチャンピンズカップ、最初のインターコンチネンタルカップが際立っている。またスペイン代表監督の職にも就いている。
 

経歴

  • 獲得タイトル(選手):

  • 欧州チャンピオンズカップ3回
  • ラティンカップ2回
  • スモール・ワールドカップ2回
  • リーガ4回
  • 獲得タイトル(監督):

  • 欧州チャンピオンズカップ2回
  • インターコンチネンタルカップ1回
  • リーガ9回
  • スペインカップ2回