- フルネームフアン モンジャルディン
- 出身地
- 生年月日24/04/1903
闘うフォワード
出場試合数:73
通算得点数:55
スペイン代表:4試合
自身もクラブのファンで、レアル・マドリードの勝者のメンタリティーを他の誰よりも見事に体現していた往年のストライカー。その不屈の精神で、試合終了のホイッスルが鳴るまで戦い続けた。競り合いに強いセンターフォワードで、ヘディングシュートは一級品だったが、チームへの貢献も忘れず、激しい競り合いも辞さずにたゆみなく汗を流した。その優れた右足を武器に、多くのゴールを決めている。
その才能は、多くの偉大な選手を輩出したコレヒオ・デ・ヌエスタラ・セニョーラ・デル・ピラールのユースチームで磨かれた。ユースチーム在籍時には、レアル・マドリードがプレーするデューケ・デ・セスト・サッカー場の常連だった。その若き日の姿について、サンチャゴ・ベルナベウは「ゴールの真裏で、身振り手振りや大声で選手を鼓舞していた。疲れを知らない様子だったね」と語っているが、ピッチ内のプレースタイルもまさに同様だった。
モンジャルディンのレアル・マドリード加入は、ソテロ・アラングレンやテウス、エリセといった選手の退団に伴い、世代交代を進めていたチームを象徴する新しい動きだった。ゴンサレス、ペリス、エルナンデス・コロナドなどと同時に入団し、特にコロナドからは模範として尊敬を集めた。その熱意は他の選手にも大きな影響を及ぼした。ピッチ上のリーダーであり、敗色濃厚なときこそ頼りになる存在だった。常に存在感を発揮して仲間を鼓舞し、チームを逆転勝利に導く選手で、その偉大な精神はその後の世代に受け継がれている。
ガリシア出身のフォワードは、スペイン代表でも4キャップを獲得。国のスポーツ委員会からスポーツ勲章も受章した。しかし1950年11月3日、交通事故で惜しくも命を落としている。
経歴
- 地域選手権6回