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ブトラゲーニョ

ブトラゲーニョ

1982 - 1995

  • フルネームエミリオ ブトラゲーニョ・サントス
  • 出身地
  • 生年月日22/07/1963
  • フルネームエミリオ ブトラゲーニョ・サントス
  • 出身地
  • 生年月日22/07/1963

天才、伝説、本物の紳士

ポジション:FW
出場試合数:公式戦463、親善試合106
通算得点数:171
スペイン代表:69試合

サッカーを芸術の域に高めた天才的、伝説的な選手。不可能に近いドリブルと夢に出てくるようなゴールを披露した。その閃きや圧倒的な力で周囲を驚嘆の渦に巻き込み、サッカーを別の次元に導く。レアル・マドリード史上、さらにはスペイン・サッカー史上屈指の世代の代名詞となっている「キンタ・デル・ブイトレ」はその愛称から誕生。サンチス、ミチェル、マルティン・バスケス、パルデサらと共にチームを牽引した。
 
優れたゲームビジョン、即興的なプレーの才能をアトレティコ・マドリードのスカウトに見出される。しかし、父親と共にソシオであったクラブのユニフォームを着たいと願い、レアル・マドリードのカンテラに入団することになった。
 
カスティージャで高いパフォーマンスを見せ、彼の名前が紙面を賑わせるようになると、アルフレド・ディ・ステファノ監督 がファーストチームに抜擢。背番号14をつけ、1984年2月5日にデビューしたカディス戦では2ゴールを挙げたのみならず、3点目をアシストして試合の様相を一変させた。
 
彼が決定的な働きで果たしたUEFAカップ2連覇(1985、1986年)は、マドリードを欧州サッカー界の実力者として改めて知らしめることになる。24歳未満の若手最優秀選手に与えられる「ブラーボ賞」を2年連続で受賞し、ウーゴ・サンチェス とのコンビで何シーズンもフォワードのレギュラーを務めた。
 
在籍した12年間で大きな足跡をクラブに残す。ゴールを量産するストライカーではなかったものの、ピチチ(リーガ得点王)も獲得。1995年6月15日、サンティアゴ・ベルナベウで行われたローマとの引退記念試合で現役にピリオドを打つ。サポーターにマドリードへの貢献を感謝されつつ、当人もスタンドから、ピッチの上から、そして今もファンとして愛するクラブへの感謝の意を示した。

経歴

  • リーガ6回
  • UEFAカップ2回
  • 国王杯2回
  • リーグカップ1回
  • スペイン・スーパーカップ4回