クリストバル

クリストバル

1965 - 1979

  • フルネームクリストバル・ロドリゲス・エルナンデス ロドリゲス・エルナンデス
  • 出身地
  • 生年月日05/07/1949
  • フルネームクリストバル・ロドリゲス・エルナンデス ロドリゲス・エルナンデス
  • 出身地
  • 生年月日05/07/1949

「サポルタのドクター」

そのキャリアの始まりは、スペイン・バスケットボール連盟が企画した全国規模のトライアウトだった。レアル・マドリードを指導していたマヌエル・ビジャフランカがトライアウトでその才能を認め、ジュニアチームでの契約を申し出る。当時まだ16歳の若さだったが、クリストバルはためらうことなく故郷テネリフェをあとにし、マドリードにやってきた。結果的にこれは正しい判断だったが、その後の道のりは決して容易なものではなかった。
 
1966年、ペドロ・フェランディス監督によりファーストチームに引き上げられたことで、その人生は大きな転機を迎える。実はバスケットボール選手だけでなく、医師になるという夢を抱いていたクリストバルだったが、ファーストチームでは練習は厳しさを増し、遠征も増え、医学の勉強との両立が難しくなる。危機感に駆られ、一時はバスケットボールをやめようかとまで思い詰めたという。
 
しかしすべての人にとって幸運なことに、フェランディス監督と、クラブ史に名を残すバスケットボール担当ディレクター、ライムンド・サポルタが、問題の解決に乗り出した。首脳陣2人の助言と理解を得て、レアル・マドリードでのキャリアをあきらめることなく医師免許を取得。その結果、このカナリア諸島出身の選手は、頼れるセンターとしてマドリードのバスケットボールチームの黄金期を支えた。

経歴

  • 欧州チャンピオンズカップ(1967、1968、1974、1978)
  • リーガACB(1967、1968、1969、1970、1971、1972、1973、1974、1975、1976、1979)
  • 国王杯(1967、1970、1971、1972、1973、1974、1975、1977)
  • インターコンチネンタルカップ(1977、1978、1979)